「いってらっしゃい」と、母は言った|幼かった私の記憶


幼かった私の記憶
「いってらっしゃい」と、
母は言った
両親が離れて暮らしていた、あの頃の話。
寂しさの中で見つけた、小さな安心について。
笑っていなければ
母について行った私は、
叔母の家でとにかく明るく振る舞っていた。
本当は不安だった。
寂しかった。
怖かった。
突然、それまでの“当たり前”が崩れてしまったことを、子どもながらに感じていた。
でも——
母の泣く姿を、これ以上見たくなかった。
母はとても強い人だった。いつも家族のために働いて、どれだけ疲れて帰ってきても、私たちの前では笑顔でいてくれた。
家計のこと。
仕事のこと。
夫婦のこと。
今思えば、たくさん抱えていたはずなのに、子どもの前ではそれを見せなかった。
そんな母が涙を流している姿は、幼い私にとって、とても苦しかった。
「お母さんは泣かない人」
どこかでそう思っていたから。
だから私は、無理にでも笑おうとしていた。
「大丈夫やで」
本当は大丈夫じゃないのに。
不安でいっぱいなのに。
でも、私まで泣いてしまったら、母がもっと苦しくなる気がした。
子どもながらに、「私が元気でいないと」「私が笑ってないと」
そんなふうに思っていたのかもしれない。
叔母の家では、なるべく空気を明るくしようとしていた。
笑ったり。普通に話したり。平気なふりをしたり。
でも本当は、心の中はぐちゃぐちゃだった。
静かな夜になると
夜になると、急に寂しくなる。
昼間は頑張っていた気持ちが、静かな夜になると一気に崩れる。
布団に入ると、昼間は我慢していた感情が溢れてきた。
「どうしてこうなったんやろ」
「またみんなで暮らせるんかな」
「お父さんとお母さん、仲直りするんかな」
そんなことばかり考えていた。
子どもの私は、“離婚”という意味をちゃんと理解していなかった。だから、
「少し離れてるだけ」
「そのうち戻れる」
そう信じていた。
子どもって、どこかで希望を捨てない。現実がどれだけ変わっても、“元に戻る未来”を信じようとする。
きっとその頃の私は、悪夢を見ているだけだと思いたかった。朝になれば、また元通りになる。
そんなふうに、どこかで願っていたのかもしれない。
「すぐ迎えに来るから」
でも現実は違った。
次の日、母は兄と私に言った。
「新しい家を探して、すぐ迎えに来るから」
そう言って、私たちを父のいる家へ帰した。
私は正直、嫌だった。
母と離れたくなかった。
一緒に居たかった。
でも母がそう言うなら、待っていればまた一緒に暮らせるんだと思った。
今思えば、きっと金銭的な問題もあったのだと思う。突然家を出て、すぐに子ども2人を育てながら暮らせる環境を整えるのは、簡単じゃなかったはずだ。
でも幼かった私は、そんな事情はわからなかった。
「なんで一緒に連れて行ってくれへんの?」
その気持ちだけが、心のどこかにずっと残っていた。
母のいない家
父のいる家へ戻る道。昨日までと同じ景色なのに、何かが違って見えた。
空気が違う。
世界の色が少し変わってしまったような感覚。
母がいない家。それは同じ場所なのに、まるで別の家のように感じた。
静かで、広くて、少し冷たかった。
家の中に入った瞬間、“匂い”が違う気がした。いつもそこにあった母の存在が、急になくなっていた。
キッチンにも。
洗濯物にも。
部屋の空気にも。
母の気配がない。それだけで、家はこんなにも変わるんだと思った。
兄も、どこか無口だった。でもお互い、そのことには触れなかった。
触れてしまったら、現実になってしまいそうで怖かった。
公園での、あの数分
母のいない夜は寂しかった。きっと母も寂しかったと思う。
でも次の日から、母は毎日会いに来てくれた。仕事もしていたのに、私の通学路にある公園の前で、毎朝待っていてくれた。
私は朝、ランドセルを背負って家を出る。少し早歩きで公園へ向かう。
すると遠くに、母の姿が見える。
その瞬間、胸の奥が一気に温かくなる。
「お母さんや!」
そう思った瞬間、安心していた。
私は嬉しくて、いつも走って駆け寄った。
「行ってきます!」
すると母は、いつもの優しい笑顔で言う。
「いってらっしゃい」
その笑顔を見るだけで、「今日も頑張れる」と思えた。
たった数分。本当に短い時間。
でも、その数分が、当時の私には何より大切だった。
母に会える。それだけで安心できた。
「お母さんはちゃんと居てくれる」
そう思えた。
学校で嫌なことがあっても。
友達とうまくいかなくても。
父の機嫌が気になっても。
「帰ったらお母さんに会える」
そう思うだけで頑張れた。
今思えば、あの時間は私にとって“心の支え”だった。
おばあちゃんの静かな優しさ
夜になると、父方のおばあちゃんが毎日ご飯を作りに来てくれていた。
おばあちゃんは、いつも静かだった。必要以上に何かを聞くこともなく、ただ黙ってご飯を作ってくれた。
味噌汁の匂い。
炊きたてのご飯。
おかずを並べる音。
その何気ない時間が、私にはどこか安心できる時間だった。
おばあちゃんは、きっと全部わかっていたんだと思う。でも、あえて何も聞かなかった。
子どもだった私は、その優しさに救われていた。
21時を過ぎてから
おばあちゃんは毎晩21時になると決まって帰る。そして、そのあと——
母がこっそり会いに来る。
私は母に早く会いたくて、寝たふりをしていた。
「おばあちゃん、早く帰らへんかな」
そんなことを思いながら、薄目を開けて時計を見ていた。
何故なら、父は毎日22時頃に帰ってくるからだ。母に会いたい私は、子どもなりに知恵を使っていた。
玄関が静かに開く音。私はその音が大好きだった。
「お母さん来た!」
その瞬間、一気に嬉しくなる。
母は小さな声で、
「まだ起きてたん?」
と言いながら入ってくる。
その声を聞くだけで、張りつめていた心が一気に緩む。
母は短い時間でも、必ず兄と私を抱きしめてくれた。
「大丈夫やからね」
「もう少し待っててね」
そう言って、何度も頭を撫でてくれた。
私は、その時間が本当に大好きだった。
母の服の匂い。
抱きしめられた時の温かさ。
優しく撫でてくれる手。
全部が安心だった。
「お母さんが来てくれた」
それだけで、不安が消えていった。
信じていたこと
そして私は、本気で信じていた。
「いつかまた、4人で暮らせる日が来る」
私は疑っていなかった。
母が毎日会いに来てくれるから。
抱きしめてくれるから。
「待っててね」と言ってくれるから。
だから私は、信じ続けることができた。
母が教えてくれたこと
今思えば——
あの頃の母は、きっと誰よりも苦しかったと思う。
それでも母は、私たちの前では“お母さん”で居続けてくれた。
私はあの時、“愛情は言葉だけじゃない”ということを、母から教わっていたのかもしれない。
会いに来ること。
抱きしめること。
笑顔を見せること。
安心させること。
それは全部、母なりの愛情だった。
そして私は、そんな母の姿を見ながら、
“人を安心させられる人になりたい”
と思うようになっていった。
私はきっと、あの頃からずっと、
「誰かの心を軽くしたい」
と思っていたんだと思う。
あ の 頃 の 灯 は、 今 も 消 え て い な い
PROFILE
岩崎 こなみ (Konami Iwasaki)
“楽しむ事から人に寄り添う指導者”=エンターメンター。自身の感受性豊かな幼少期の体験を原点に、言葉の奥にある真意や他者の感情を繊細に察知する対話アプローチを確立。一方的な指導ではなく、笑顔と安心感を交えた双方向の関わりを通じて、多くの人が自立し、次のステップへと軽やかに踏み出せるよう伴走している。
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